KQ4のブログ

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

本音で話すことが思いやりになるのか、という話。

いやぁ、健康って本当に素晴らしいですね。
そして不健康とはなんて辛いことか。
体調が戻ってきたおかげで息子の泣き声に耐える(という感覚もなくなった)ことや、あやすことに余裕を持つことができた。
昨日の体調だとこれが辛くて、世の中の不調に耐えて育児をする人を労いたい気持ちで今はいっぱい。
自分が万全じゃないと他人には優しくできないよね。

そんなことを思う中、昨日は兄一家が、今日は姉一家が父母を伴って来訪してくれた。
決して仲良し家族というわけではないけれど、息子を見て喜んでくれるのはとてもありがたいと思った。
俺は俺の幸せを喜んでくれる人と一緒にいたい。

そんな折、下記のブログを読んだ。

saize-lw.hatenablog.com

 

これは就職活動のことではあるけど、「体」で話すというのは建前とも違っていて、
「ルール」上で話すことなのだと思う。
職場の男性に息子が産まれたことを話した際、おめでとうすら言われないということがあったが、正直かなりガッカリした。
別に本心で祝ってほしいわけではなく、「体」があれば満足なのだ。
この男性に話さなかったら話さなかったでそれはこちらが「体」を通さないことになる。

若い頃はともかく、40代以上になってこの「体」ができないというのはルールやマナーを守らないということに近しい。
最近辞めていった同僚も上司に対して「あいつは働かない」「俺は働くのだから評価しろ」といったようなことを話していたが、彼は本音ベースで話をしていたのだろう。
だが、彼の本音がいくら「正しく」とも、それは組織にとっては「何を言ってるの?」という話になる。

反対に言えば、「体」さえ守っていれば本音、すなわち内面が守られるのはさもありなんだな、と思った。
いくら仲のいい友達でも、親友であっても、聞きたくない本音だってある。

じゃあその本音の部分ってどうすんのよ、という話になるのだけど、そういうときこそ趣味や自分だけの時間、あるいはカウンセリングを頼ってもいいんじゃないか、とそう思った。