KQ4 DIARY

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

自粛疲れという言葉すら聞かなくなって

さすがに長く感じてきた…。
コロナウイルスの本格的な収束自体、2~3年かかると言われてきた。
だから、そういう覚悟はなんとなくできていたように思っていた。
しかし、実際のところはしんどいものである。

不要不急の…というが、不要不急がなくては人間らしい生活はできぬ…。

切羽詰まった方にとってはうんざりなのかもしれないが、第一波の収束時、せめて緊急事態宣言をもう少し遅らせられなかっただろうか。あるいは、県をまたいだ移動の解除を遅らせるなどできなかったのだろうか。一度に自粛を緩めるのではなく、最初は自治体ごとにするなど、小規模から始められなかったのだろうか。

結果を見れば、県をまたいだ移動から徐々に感染が広がり、結局はまた自粛への動きとなっている。
自治体ごとであれば普通に外食もできたし、ささやかながら外出もできたのである。

別に、県をまたぐこと自体禁止も自粛要請もされていないのだが、結局は感染すれば責められる。東京の方に関しては差別ともいえる対処をしなくてはならない状況となった。緊急事態宣言は東京の感染者がまだ2桁のころに解除された。あれだけシミュレーションされたのに今頃「3桁!」「〇百人!」と騒いでおり、政府も自治体も後処理に追われている。


純粋に意味が分からない…。


矛盾の中に身を置くのは非常に疲れるな、と思う今日このころです。
まだ、「がんばって自粛しよう!感染者を減らそう!」というメッセージがあった頃の方がストレスは少なかったなぁ。
今は本来「感染者が出ることを責めないで!医療体制を整えつつ、経済も回していこう!」というフェーズのはずなのだけど…。

一人身でいいやという身勝手さ。

 ここ数年はそれなりに婚活をしている。しかし、必死さが足りないのか、そもそもの心構えがおかしいのか、実を結ぶことは少ない。今思えばあの時に…という例もないわけではないが、自分の理想が高すぎるのかとも思う。
 ここ最近は、約ひと月連絡をとっていた相手と初めて会ってきた。いわゆる出会い系アプリがきっかけ。ラインの反応もよく、趣味も合うことから毎日やりとりをした。で、実際会うとお互い緊張はしていたものの、話も合うし、コロナを配慮しつつも楽しく過ごせたと思う。
 思うのだが、この人と結婚生活を送るとなると…と思ってしまう。(年齢的に結婚を前提とするのは当然であるので)もしかしたら相手もそうかもしれない。会話のペースが合わないためか、疲れてしまった。会話のスピードが速いのだ(テンポではない)。
最も、この方以上に合わず、しまいにはめまいがしてしまったこともあったので、それほど悪くないのかもしれない。
 そんな心の内を見透かされてしまったのか、ラインは返ってこない。ほっとしている気持ちと、この一か月の労力が徒労に終わったことのむなしさを感じる。ここで追いかければいいのかもしれないが、追いかけるほどの情熱がないことがまたむなしさを増加させる。
 我ながら、この上から目線の理想の高さが嫌になるし、このまま婚活が徒労になることも嫌になる。コロナの中、気を遣いつつ、距離感を図りながら一瞬で終わるのだものなぁ…。
 そんな中読んだゆるキャン△に触発されたので、6月はデイキャンプに行こうかと思っている。

映画「歩いても 歩いても」感想

帰省を通じて家族が揃う…。あらすじを短くまとめれば、これだけです。事件という事件は起こらない。
ただ、話が進むにつれてこの家族の長男が亡くなったことが分かります。これも過ぎ去った「過去」であり、新たな出来事は起こりません。
こうした、「舞台設定」だけがあり、その中で登場人物が交流するわけですが…。これが自分にとってはまさに「葬儀であった親族」の雰囲気そっくりで…。話す相手によって建前と本音があけすけに出てくる。これがまたエグいというかなんというか。特に女性陣のそれは顕著で、冒頭でけなした相手に笑顔で出迎え、チクチクさしてくるあの感じ…。体験したわけでもないのに知ってるぞ、この感じ。
言葉で書くと重々しいんですけど、描写はさらっとしてます。だから嫌味がない。最低限の会話や表情、視線がそれらを語ってる。役者陣の演技力を感じます。

自分にはこの家族は、どこにでもある家族と感じられました。そう思うくらいリアルな雰囲気でした。
この雰囲気は非常に淡々としていて、感動的な演出があるわけでもありません。でも、年に1度の顔合わせで色々な感情が静かに交錯するこの雰囲気に緊張感を持ちました。

「いつも、ちょっと間に合わない」

しみじみと「人生」を感じたい、しっかりとした「映画」を見たいな、という人に。

映画「横道世之介」感想

タイトルにもある通り、主人公の横道世之介と出会った人々は過去の思い出を笑顔で語っています。
じゃあ横道さんはひたすらにいいやつか、といえばそうでもなく、不器用だったり強引だったり、自分勝手なところもあるんです。でも、それでも笑顔になってしまう、「憎めないヤツ」ってのが一番当てはまるかなぁ、と思います。
そんな語り手たち、結構大事な場面に立ち会ってもらったりしてても、「そういえばいたね」という言葉で彼を語ります。でも、14年くらい経てばそんなもんだろうとも思います。
それがリアルだなあ、とも思います。
若干の寂しさもあり、無常観というか、そんな感想を抱きました。それでも、人の人生における「人」っていうのはこういうものなのかもしれません。だからこそ、思い出で笑顔になれるということはすごいことなのでしょう。

つらつら書きましたが、あまり気合いをいれず、だらっと見る映画です。

オーバーロード雑感

友達に勧められたのと、「異世界カルテット」を視聴するにあたってオーバーロードのキャラも出てくることからこの作品を観てみた。リゼロやこのすば、幼女戦記は視聴済み。
3期もあるので長いけど、その分面白いのかな?という期待をもって観た。
1期はまぁまぁ楽しかった。冒険者パーティをあっさり葬ったことはモヤっとしたけど、主人公の倫理観上そういうものなのかな、と。
最後のバトルも苦戦からの勝利ということで見ごたえがあった。
ただ、2期はどのみち滅ぼすリザードマンを丁寧に描写し、かつ一方的に圧倒。
しかもその後出番がない。なんだこれ。
ラストも出来レースかつマッチポンプ。それまでの地道な活動から1万人を連れ去るという行動に。
3期はもっとひどくて、今度はゴブリン中心。
その後は「もっと表舞台へ」ということで帝国を圧倒。王国への大虐殺。

展開自体は別におかしくないのかもしれない。ただ、枝葉への描写がくどい。
さらに、主人公は倫理は欠如してるのに元人間の価値観をハンパに残しているので行動に一貫性がないように思える。
残す価値があるやつは生き残らせるならタレント持ちの人間もあっさり殺すのはなぜなのか。
というかまぁ、殺される人間の背景を描写しておきながらラストは残酷に殺されるというのが好きじゃないのだけど、せめてアインズ様が冷酷無比とか、身内にだけは甘いとかならわかるけど、ハンパなのでそこがまたイラっとくるのである。
(墳墓に攻め込ませるのに乗り気じゃないのにパーティ全滅させるとか)

ワールドアイテム持ちを警戒してたのに最後はどどんと国を構えるのも、うーんという。理由はあるのだけど、結局目を付けられるだけでは、という。

幼女戦記もまぁ「俺つぇぇ」の一種なのだけど、苦戦もするし、主人公の活躍が戦争を泥沼化させる自業自得があって納得できる。
このすばやリゼロはそもそも理不尽への反抗みたいなところがあってカタルシスがある。
ただ、オーバーロードはどこにカタルシスを感じればいいのかよくわからなかった。
主人公や味方サイドに感情移入できればいいのだけど、それができず、あっさり殺されるキャラばかりに感情移入してしまって楽しめなかった。それに尽きるのだろう。

最近のこと(TRPG)

もはや登山さえも自粛の中、楽しみは近所の田園を散歩することくらい…
でも自然はやっぱりいいですな。

ここのところ、18日くらいから
喉の違和感
背中の痛み
肩のこり
胃の膨満感
胸の痛み

などを感じております。
これを書いていても、お腹が奇妙な鳴り方している。
明らかに自律神経なのだけど、当初はいよいよ感染したかと覚悟しました。

ずっと引きこもってゲームしてたのも悪かったな…
レトロゲームなんだけど、純粋にやりたいのもありつつ、ルーティンに逃げているのも自覚はしている。
そうこうしているうちに身体が余計凝り固まってしまうのだろうな。

でまぁ、友人に誘われてクトゥルフ神話TRPGを行う。
ニコニコ動画にあれだけ投稿があるのもわかる。
トークだけであれだけ入り込めるというか、楽しめるのは新鮮。

オンライン呑みに飽きたらオンラインTRPG、いかがでしょう。

山に登ること(低山ハイカーの場合)

先日、山に登って参りました。コロナウイルスによる外出自粛の中、職場と家の往復しかしていない昨今…。天気も気候もいいなか、せめて人の少ない山にハイキングに行くこと位許されてもいいはず…。自動車だし。

 

そんなわけで行きました。結果は大満足。帰りに温泉に入れなくても、久々の自然は心身を癒してくれました。

そんな中、ふとなんで登山をしているのかを登山中に考えていました。というか毎回考えてる。なぜって、登ってる途中はしんどいから。しんどいのになんでこんなことをしているのか…。
登ってる時の心境は大体こんな感じです。

①登り始め。
たいてい山の形とかがある程度目に入ってきます。着いたときのワクワク感、どんな山なんだろう、時間はどれくらいだろう、なんて考えます。

②登り途中。
しんどいです。なんでこんなことやってるんだろう、と思うと同時に過去の嫌なことや腹の立つ出来事を思い出しては毒づいてたりします。行程に遅れでもあろうものなら焦燥感が襲ってきたりもします。


③山頂近くになるにつれ…
無になってきます。ひたすら登ります。他のハイカーさんから「もう少しですよ」なんて言われたり。途中で展望がよくなってくると言葉にならない気持ちになります。

④山頂
着いた…!!それしかありません。
よっこらせとベンチあるいはビニールシートに座り、ご飯を食べます。

⑤下り
荷物も軽くなり、足取りも軽いです。あとは降りるだけだなぁ、とか思いつつ、でも登りもあるので②と③の気持ちの繰り返しだったり…。
そうこうしてるうちに、無になります。

⑥下山
ほっとします。ひたすら安堵。自分にとって、登山靴から普段靴に履き替える瞬間が一番ほっとするかも。旅行と一緒ですね。

結論
登山は瞑想に似ているかも…。
しんどい思いをしている最中は煩悩だらけですが、そうこうしてるうちにひたすら足を動かし、心が空っぽになるような、ただ目の前と足元だけを見るような気持ち。
メジャーじゃない山って、たいてい人も少ないし動物なんかも少ないんですよね。鳥の声すらしない。展望もあればいい方で、変わり映えしない景色が続いたりします。
だからこそ、たまに咲いている植物や、ハイカーさんのとのちょっとした会話が新鮮だったりするんですよね。
瞑想して心をすっきりしつつ、身体を動かしてすっきりさせる感じですね。
案の定筋肉痛ですが、行ってよかったです。