かんそうさんのブログが好きでよく読むんだけど、「スキップとローファー」の素敵な部分がエモーショナルに表現されていて「そうなんだよなぁ…」と共感してしまう。
こんな青春はないんだけど、こんな青春送ったような錯覚になるのは、キャラクター一人ひとりの心情や独白に共感するからなんだと思う。
で、こちらの記事についていたブコメで
「自分の問題に対して、自分で解決策を考えられるのはみつみちゃんたちが進学校の生徒だから」というものがあった。
これ、なんとなく理解できてしまう。
というのは、自分が教員のときに先輩教師がこんなことを言っていたのだ。
「問題校もやりがいはあるんだけど、体育祭とか文化祭をちゃんと楽しめるのはどうしても進学校になっちゃうんだよなぁ」
と。
自分で考えて自分で動けることって能力がいるのだ。
きちんと自分の問題ってこうだから、解決のためにはこうしなくちゃ、て動ける能力。
だから人は悩むんだと思ってたんだけど…
どうやら違っていて、たとえば同じ困難にあっても
「あー、どうしてこうなってしまったんだ」という問いに対して
「自分なんてどうせダメだし…」とか、「あー、何かいいことねぇかなぁ」
で終わらせる人もいれば
「次回からはこうならないようにしよう」とか、「一回気分転換しよう」とか主体的に動ける人もいるんだよな、と。
俺は決して自分が能力がある人間だとは思っていないんだけど、
能力があっても同じ問題を繰り返したり、問題を先送りにする人というのは
「解決しようとする能力」がないんだな、とそんな残酷なことを思ってしまった。
別に悪いことではないのかもしれないけど、ますます関わるだけ損だなぁと思ってしまった。
結婚をしてもうすぐ子どもが産まれる段になって、友人や同僚との人間関係について思うところが出てきているのかもしれない。