KQ4のブログ

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

婚活と運と努力

結婚します。
40歳手前、過去に付き合った女性は1人きり。
職歴は10を超える。決して人に誇れるような経歴はない。
それでも幸せです。

過去に勤めてきた企業はどれもブラックよりで、薄給激務なとこがほとんどでした。
最近は定時で帰れて賞与もある会社に入れました。
職場環境がおかしくなってきたとこで転職しようとしたら念願の事務職に異動。
そして今年度の結婚。

正直、運がよかったとしかいいようがない。

婚活自体は断続的に5年くらい前からやっていた。最初はpairsに登録したり、婚活パーティや街コンなんかに参加した。pairsは全然会えずじまいだったし、婚活パーティでマッチングしたことは一度もなかった。そうこうして転職し、退職し、また転職。
そのころはポツポツと婚活パーティに参加するも全敗。

コロナ禍もあって一念発起し、pairs、omiai、ゼクシィ縁結び、マッチングドットコムに登録した。pairsでは1人会えた。一か月メッセージのやりとりをした後、デート。

自分でもすごくいい雰囲気ではないとわかってはいた。わかってはいたが次の約束がもらえないのは堪えた。
その後無料会員となって惰性でpairsとomiaiだけ続けた。計2人と会う約束ができた。
そして出会えたのが今の彼女だ。

こうして書いてみたけれど、かなりがんばったと思う。
がんばったけれども、最後は運だと思う。なぜって、最初に登録した時は今より若いのに会うことすらできなかったから。タイミングがよかったのだろう。

しかし思うのだ。身近にいる「結婚できない」「いい出会いがない」とこぼしている人たちは俺ほどがんばっただろうか、と。
努力してないからでは?と思いたくなる。俺のがんばりのために。


結果に至るまでは運だ。それは変わらない。でも、最初の一歩を踏み出すのは自分だ。

俺もこの先どうなるか分からない。不運に見舞われることは間違いなくある。

ヒットを打つためにバットを振らない人にチャンスは来ない。
でも、こう言えるのはきっと運がよかったからなのだとも思う。

運を得るためのきっかけをつかむための最初の一歩は、やはり努力なのかなぁ。
そんなことを思う。

同僚に仕事を辞めたいと言われたら

辞めたらええやん!とは言えないのが辛いところ。

同僚の性格等は好きなんだけど、仕事観がピュアすぎる。「上司が率先して動くべきところを動いてくれない。こちらが臨機応変に動くしかないし、何も評価されない。給料も上がらない」

そんなピュアな価値観は俺は20代で卒業しちまったよ...

上司は、つうか会社できちんと責任持って働くやつなんてそんなにいねぇよ。

働きアリの法則ってあるやん?2割くらいのアリはサボる、てやつ。あれ実際はシフト制で休んでるだけなんだよね。アリ以下なんだよ人間は。

ならばサボってるのを罰し、頑張ってるのを引き立てたいとしたいとこだけど、それを下手にやると空気悪くなるんだよね。

売上とかあるならまだしも、福祉なんて成果何もないよ。だから資格とるとか、自己研鑽しろ、て話になる。

「俺は俺なりにがんばってるけど評価されない」なんて新卒の主張ですよ。

つうか、上司が動かなくても現場が回るなら上司はこれ以上ないくらい楽だし、そりゃ動かねぇよと。

擦れちまったなぁ、俺...

俺は俺のやり方でいく!〜やっぱりダメだったよ...

エルシャダイ風味のタイトルですが、これが全てです。

 

人に相談するときって、アドバイスが欲しいんじゃなくて後押ししたほしいとき、ていうじゃないですか。わかります。俺もそうだもの。

相談するときにはもう自分の腹は決まってて、でも肯定や後押しがほしいんですよね。

 

でもね、どうしても後押しできないときってあると思うんです。

 

考えが浅はかで見える地雷に突っ込んでいきそうな友人を見てればそりゃ止めたくなります。

それでも突っ込むならそれは自分で責任をとらないけません。いい大人ならなおさら。

 

あまり恋愛経験のない友人から恋愛相談を受けるのですが、まぁ見えてる地雷というか、「しない方がいいこと」をやってしまうんですよ。

結果的に「ほら見たことか」となってしまう。

 

そうなるともうべっこり凹んで、「もう傷つきたくない」みたいなことになるのですけども、なんなんだろう。なぜ人の話を聞かないのだろう。

 

たしかに言うこと聞いたからといって成功するとは限らないけど、明らかにダメなパターンてあるじゃないですか。

ダラダラメールしていつまで経っても進展しないパターンとか、ずっと連絡来なくて自然消滅した後にデート誘うとか。

 

そういうのをやっては凹む。でも人に相談はする。でもアドバイスは聞かない。

 

ずっと続けていけばいつかは成功するのかもしれないんですが...

これが20代とかならいいけど、もう40代だからなぁ...

デブの癖にデブは嫌だと!?

どうも、元デブです。
タイトルが全てです。最近思ったこと。

いわゆる、太った人を異性として見れるかどうか、という話なんだけど、
太った男性の知人2人が「太った女性はちょっと…」と言ってたんです。

俺はそれを聞いて、「まず自分を顧みるのが先では!?」と思ったんですが、自分を顧みようがどうしようが、異性の好みなのでそれはそれでそういうもんですね、そうですね、と納得したようなしてないような出来事があったので書きました。

食事制限ってやるまでは難しいんだけど、一回習慣化すれば痩せるんですよ。
よく測るだけダイエットとか、記録するだけダイエットとかありますけど、太る食生活するから太るんです。
じゃあ太らないように闇雲に食べる量を減らしたり、ひどいと1食、最悪なのが全く食べないとかなるともう悲惨。
ちょっと食べたら速攻リバウンドする身体ができあがります。

俺は「あすけん」というアプリで食べたもの測ってて、夜ごはんの「ご飯」、つまりは米を減らしたら3か月くらいで6キロ痩せました。何も辛いことない。なんならコロナ禍で運動できなかった。リングフィット?買ってすぐ売ったよ。7,000円で買って6,480円で売った。思い出をありがとう。

あすけんはダイエット目的ではなく「昨日食べたものが思い出せないですじゃ…」という割と悲惨な動機から使い始めたのだけど、気づけばダイエットにつながりました。
要は、カロリーとりすぎると太る。それだけです。

「そんなに食べてないんだけどなぁ」という人は絶対食べてます。コンビニ、外食、お惣菜。太ります。なんでって調節できないし。カロリーがパッケージングされてるんですよね。弁当とか特に。せめてお米の量は控えめにした方がいいと思います。

とりあえず、別に太ってたっていいです。でも、自分が太ってるのに太ってる人が嫌なら、せめて痩せようぜ、と俺は思っちまうんだ…。

いいときも悪い時も

いいときというか、何も起こらない平和なときってブログ書かないのだけど昨日書いてみて、書いた後のスッキリ感が忘れられず今日も布団でブログを書いている。

書いているのだけど、昨日のスッキリが持続していて書くことがない。

モヤモヤした思いを言語化するというのはとても気持ちのいいものだということを思い出したのだ。

ここのところはとても安定したというか幸せで、仕事の繁忙期もなんとか終わったし(それすら別に不幸でもない)、生涯のパートナーもできたところ。

まぁ、何も障害がないとそれはそれで不安になるのが人間なんだろう。

今は友人2人のpairsの進捗状況をフォローアップしたり、友人や同僚の世話を焼いている。焼いてるけど、うーん、この世話焼きに関してはほっといてもいいのかな、もっとドライでもいいのかな、と思っている。

俺がやるべきことは俺のことなんではないのか。ほうらモヤモヤしてきた。

たとえば教員の頃は世話焼きは仕事で、生徒の問題を解決することは仕事であり、成果でもあるし、そのための自己研鑽というのは無駄がない。俺の人生に生徒の課題もある。

あくまでも課題であり、生徒の人生ではないのがミソ。

 

俺の課題をきっちり捉えるべきじゃないか、そろそろ。幸せをきっちり享受すべきじゃねえかなぁ。

ブログを書くとき

誰にも読まれないブログを書き続けていたら、いつのまにか150以上の記事が溜まっていた。

 

最近はブログが衰退した、という記事を見かけたが、面白いブログは今でも面白い。

140字や画像だけでは、ドーパミンが噴出されるばかりで、満足感は得られない。

そのうち虚無感すら覚える。

 

虚無。そう、この虚無を埋めたくて俺はブログを書く。

 

以前はひたすら不安を消すためにブログを書いていた。

今はその不安たちは消えた。仕事の不安、転職の不安、人生の不安。

 

いつしかそれらは薄らいでいった。

平穏な日常。コロナはたまらなくストレスフルだったが、以前のそれらに比べると緩慢なストレスだ。緩慢だからこそキツいのだけど。

 

虚無。人生は続く。意味などない。

虚無もまた不安なのだろう。

答えは決まっている。

生きるから生きる。

生きるなら楽しく。

 

今の若者は批判が嫌いという記事を読んだ。

ハッピーエンドしか見たくないのだと。

 

現実が辛いのだから好きなものをいちいち否定されたくない。

物語くらいハッピーエンドでいてほしい。

当たり前ではなかろうか。

 

ただし、物語を倍速でみる、これはダメだ。

効率てなんや。コスパてなんや。

そんなん、自分の人生のコストを下げて軽くなってまうで。

 

軽くなった人生はどこまでも浮いて、生きる価値すら軽くなるで。

 

とまぁ、そんなことを考えずに汗をかいて生きるのが楽しいのだ。

 

最近、書く敷居がまた下がっている。

以前はPCをいちいち立ち上げるのがかったるかったが、フリックに慣れた今はベッドで記事が書ける。

また書いていこう。モヤモヤを晴らすだけのこのブログを。

書いた後はなんかスッキリするのだから。

最近腹の立つこと

言われて腹が立ったことをたまに思い出す「思い出しムカつき」をしてしまう。

大抵人に話せば昇華できるのだけど、話せないままモヤモヤするから思い出しムカつきをしてしまうのだろうな、と思う。

 

今ムカついてるのは以下

・「(いい大人なのに)アニメなんか見るな」

・結構ないい歳した大人がSNSで「死にたい」みたいなつぶやきをする。

 

書いているうちに一つ消化できたので消した。

一つ目も別にどうでもいいのでは?と思ってきたけど書く。

やっぱり価値観を押し付けられるのは嫌だよね、という話。

 

二つ目はそれをつぶやくくらいなら相談してほしい、というのと、いい歳なんだからその類は卒業してほしい、という気持ち。

 

一つ目と二つ目は矛盾しているかもしれないが、自己否定という価値観だけは容認できない。