KQ4のブログ

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

30を超えて楽になり、ちょっと手持無沙汰

妻と話す中で出るのが、「30歳を過ぎるとだんだん色々なことが楽になったよね」ということ。
かつては同僚や家族など、人との付き合い方やまわりの同世代との比較、自分自身についてなど、色々なことに悩んできました。


ちなみに、20代後半から30代にかけての悩みを「クウォーターライフ・クライシス」というそうです。

https://www.profuture.co.jp/mk/recruit/management/39512


思い返してみると、20代の頃はとにかく「何者かになりたい」とか、「早く落ち着きたい」とか、色々な「ここではないどこか」を求めていたように思います。
結果的に自分は8つも職場を変え、済む場所も転々としてきました。

今が一番安定しているように思います。
伴侶に恵まれ、未経験ながらもずっと希望していた職種に就くことができ、職場でも何かと頼られるようになりました。

別に自分では何が変わったという感覚もありません。
物事を受け入れられるようになってきたということなのかもしれません。
単に鈍感になってきただけかもしれませんが笑

今は少し手持無沙汰な感じもします。
とりあえず簿記2級を勉強していますが、切羽詰まった感じもないのですよね。
勉強もただ独学でやるというのは努力や工夫が必要かもしれませんね。

大きなコブ

たまには軽いお話を。

※食事中の方は注意

今日、母親から便秘で痔になってしまったかも、というラインが来ました。
俺は痔の辛さがとてもよくわかるので、「もし痛むようなら病院に行ってね」と返しました。
と返しました。
ややあって、話題が変わり、「今度近くの喫茶店に行きたい」という母からのラインに「OK」というスタンプを返しました。

それで話題は終わったかと思いきや、1時間後に
「コブになっちゃった」
とラインが来ました。

「それは大変!明日にでも早く病院行った方がいいよ!」
と返すと

「何言ってんの、近所の喫茶店の名前が『コブ』に変わったのよ」との返事。

分かるかい!!

オカンの尻にコブができなくてよかった、というそんなお話でした。

意味を超えて

www.youtube.com

 

「日常」はまだ星野源さんが今ほど売れっ子になる前の曲です。
初期はアコギを使った、緩やかな曲が多かったように思います。
私は「SUN」「肌」が好きですが、この「日常」も好きです。

無駄なことだといわれても、意味がないさと言われても、それでもやるのよ、歌うのよ、とまさに「日常」を歌った曲だと思います。
大ヒット曲「恋」でも「意味を超えて」という歌詞が出てきますね。

意味のないものは価値のないものだと思われがちです。
かくいう私もそうでした。
学生の頃はとにかく目的に向かって意味のあること、価値のあることを追い求めていたように思います。
仕事に就いた後も、どうすれば仕事がうまくいくのかを考え、そのための本を読み漁ったりもしました。

それ自体はいいことかもしれませんが、意味だけを追い求めると人間が狭くなります。
それに以前書いたように、努力は半年先に実るもの。

kq4.hatenablog.com
視野が狭くなり、成果もすぐに出ず、結果を求めてさらに視野が狭まるという悪循環が起きます。

意味を追い求めすぎると、意味のあること以外はすべて価値をなくします。やがてはその意味のあると思っていたことですら…
(このあたり、「コスパ」という言葉にも通じますが、それはまた今度)

「人はなぜ生きるのか?」ということでさえ、絶対的な答えはなく、その人自身が見つけ出すものだと私は思っています。じゃあ、その答えに意味はあるのか?と問われれば、きっと私以外にとっては意味はないものでしょう。

絶望的な現実が蔓延する中、「意味」を超えていく視点が重要なのではないでしょうか。

意味のあるなしでなく、人が生きる現実、日常をこそ大切にしていきたいと、私はそう思います。

因果にとらわれない。

台風が近づいている模様。何事もなければいいのだけれど…。

先日、うつになったという記事を書きましたが、そのことから思ったのは
「物事に因果関係を持たせすぎない方がいい」ということ。

因果とは、原因と結果を表す言葉ですが、
仏教では
すべての行為は後の運命を決定するということ。特に、前世の悪い行いのむくいとして現在の不幸があるということ』
という意味もあるようです。
これって、結構根強い考えじゃないでしょうか。
「あんな悪いことをした人間には、今に天罰が下るだろう」みたいな。

うつと診断された際、私は自分のことを責めました。
「せっかく採用試験に受かって教員になれたのに、それを無駄にしてしまった」
「こうなってしまったのは自分に能力がないからだ」
「教員を続ける気力もないけど、転職しても自分なんかじゃどこも勤まらないのでは…」

身体が思うように動かないと気持ちもどんどんネガティブになってきます。

当時でもうつはまだ「甘え」とか「心が弱い人がなる」みたいな受け止められ方をされたりもしました。
そうでなくても、「真面目な人がなる」とか、「完璧主義な人がなりやすい」とか…

でもそれって、結局個人のパーソナリティが「原因」でうつになるという「結果」を導いてしまうんですよね。
結局、「あの人は真面目すぎたから」とか「もっと肩の力を抜けばいいのに」とかそういう話になってしまいます。

傾向があるにしても、それは絶対ではありません。
快活で細かいことは気にしない方が「うつ」になる例もあります。誰もがなりえる病気といえるでしょう。

因果を気にしすぎると、「原因」を探してどんどん深みにハマってしまいます。
恋愛でも仕事でも、何かで失敗したときに原因を自分に求めると、どんどん自分のダメなところばかりを探してしまいます。
他人に求めたとしても、その矛先は他人に向かってしまいます。
本来必要なのは、「理由」ではなく、解決するためにはどうすればいいか、という手立てだと私は考えます。

うつ状態からの抜け出し方

数年前、私は高校の教員をしていました。
東京で販売の仕事を2年やり、先行きの不透明さと職場の雰囲気の悪さから逃げるように採用試験を受け、合格。

その後、手続きを終えて赴任校に挨拶に行った際、東日本大震災が起こりました。
避難訓練ではなく、「避難」そのもの。
校庭に集まった生徒の前に立つ教員は若い年代ばかりが目立っていました。

それはなぜかというと、採用後5年間はいわゆる「進学校」か「問題校」のどちらかに行くのが通例だったのです。
私が赴任したのは後者でした。ベテランの教員はみな行きたがらなかったのでしょう。
20代の教員と、30代の講師が中心で、ベテランの教員もいるにはいましたが、定年間近だったり、事なかれ主義の教員が多かったのです。

とある漫画家の方がいましたが、人がストレスを感じるのって
「やらない方がいいと思うことをやらされる」ことと、
「やった方がいいと思うことをやらせてもらえないこと」
だそうです。
私は激務の日々で、その両方のストレスを感じていました。

「やらない方がいいと思うこと」
それは、生徒を力や大声で叱りつけること。赴任校ではその指導が主流でした。
私はどうしてもそれができませんでした。
同僚からも生徒からも軽く見られてしまっていたと思います。

「やった方がいいと思うこと」
それは、授業に力を入れること。
赴任校では単純問題を繰り返し解かせることが主流であり、工夫して色々な教材を用意するというのは求められていませんでした。
それでも授業研究をしていると同僚から「暇だね」と言われることもありました。

さらに、部活動の指導があり、休みは半年で1日しかありませんでした。
夏休みもありません。
毎日勤務です。
夜は8時に終わり、体育会系の教師から呑みに付き合わされることもしょっちゅうでした。
その他の教員からもからかわれることが多く、最終的には「いじめ」の構図が出来上がりました。
さすがに管理職に相談し、多少は改善されましたが、根本的な解決にはなりませんでした。

2学期に入ってほどなくして、私は学校に行けなくなりました。
身体が鉛のように動かず、布団の上で一日身体を横たえていることしかできなくなりました。
1週間後くらいに幸運にも心療内科の予約をとることができ、診断を受けました。
結果は「軽度のうつ病

今にして思うと、本当に「うつ病」だったのかはわかりません。
でも、あそこまで意欲が減退し、一日寝ていることしかできなくなったのは初めてでした。
自分の中では、「非定型うつ」だったのだと思っています。食欲もあることにはあったし、不眠ではなく、過眠の傾向がありました。
ただ、朝が辛いのは従来のうつ症状だったので、断定はできません。

そこからしばらくして、実家で療養することになりました。

医者からは「何も考えず、ひたすらクラゲのように布団に身をゆだねてください」と言われました。
「クラゲのように」という比喩がとても分かりやすく、しっくりきたのを覚えています。
そこから3か月くらいして少しずつ歩くことができるようになりました。

半年かけて壊れた身体は直るのにも半年かかりました。
復帰の話もありましたが、それは丁重にお断りしました。

もともと戻る気はありませんでしたが、直属の上司が亡くなったことも大きいです。
過労だったのでしょう。
私にとってはいい上司ではありませんでした。
教頭に相談した後は大人しくなりましたが、職場で苦しむ私を助けてはくれませんでしたから。

生徒の中には「復帰を待ってる」と声をかけてくれる子もいましたが、それがありがたいどころか、反対に辛くなっていることから、自分は教員をやるべきではないと思いました。

今でも、もっとやりようがあったかも、と思います。
同僚たちに恨みがないといえば嘘になります。
8社の職場経験の中でも、そこの人間関係は最悪でした。
黒い感情がふっと沸いてしまうこともあります。

それでも、退職して本当によかった、と心から思います。
教員をしている友達もいますし、仕事自体は重要でかけがえのないものだと思っています。労働環境ももっと良くなってほしいと思います。
対人関係においてのめりこみすぎてしまう自分の性質を知れたのもよかった。
今の福祉職もそうですが、相手のことを考えることよりも、相手のために何ができるかを考えた方がいい。
そして、何ができないのかも。
線引きをしっかりできることは何の仕事でも、どんな人生でも大切なことだと思います。

何の因果か、今の妻は教員をしています。
その大変さを多少なりともわかってあげられることは何よりのプラスかもしれません。

今の努力は半年先に実る法則

連日婚活について書いてきたので今日はちょっと話題を変えてみます。
それにしても、日記を書いていたときは「今日は仕事して夕食作って寝ちゃったから書くことないなぁ」と困ってたのに、思ったことをつらつらと書いているとあっという間に字数が増えてしまいます。

タイトル通り、「今している努力が実るのは最低半年は先」というのがなんとなく実感としてあります。
これ、どこかで読んだか聞いたかしたんですけど、元ネタは忘れました。

販売の仕事してた時なんですけど、当時はとにかく販売知識がなく、いろいろな本を読み漁りました。
お店作りや接客のやり方、販売員としての心構えなどなど…。

でも、当時下っ端だった自分には何の権限もなく…
マニュアルすらなかったそのお店では、まわりと違うことをするのがとてもはばかられました。
かといって、自分に自信もなかったので自分のやり方を貫き通すこともできず…

その後、異動してある程度自分の思うことができるようになったとき、ようやく勉強したことが役に立つという経験をしました。
この時は半年ではなく、1年以上経ってから…。

その時の環境や雰囲気ではできなかったことが、時間が経つか環境が変わるかするとできるようになる、ということがよくありました。

でも、すぐに努力が実る、ということはそうそうありません。
それどころか、実らないことの方が多いかも…。

そこで、「やったことが形になるのは最低半年先」と考えると、今やっていることがすぐに形にならなくても「とりあえず手を動かしてみるか」という気になります。

今の自分は福祉施設の事務員ですが、販売の時のエクセル作成や利益についての考え方、熨斗のつけ方やマニュアル作成など、ありとあらゆることが役に立っていると実感します。
割と、「物は元にあったところに戻す」とか、「次の人が困らないよう物品の補充をする」とか、当たり前のことこそが役に立っているかも…。

思えば婚活も、諦めてから成果が出ましたし(結局婚活かい)

自分でも心がけたいと思う今日この頃です。

婚活について 続

昨日、婚活について書いたらアクセス数が4倍くらいになっていたので、
引き続き書いてみる。
俺が普段観てるブログ、ご夫婦とかご家族の話が多いのだけど、
反対に婚活に興味がある人もいるのだろうか。
興味ない人はすみません。

今の妻とはマッチングアプリで会いました。一番の大手のとこです。
どうなんでしょう、マッチングアプリ。抵抗ある人も多いんでしょうか。
自分の場合はまず職場でのお付き合いにちょっと抵抗がありまして…
ダメになった場合は当然ですが、同僚の目だったり、職場の利害だったりをまず考えてしまいます。
そのあたりをすっとばして「この人のことを知りたい!」て人が現れたら話は別なのかもしれない。
それか、ある程度大きな会社で、部署が遠いとかなら気楽なのかも。

最初にアプリを始めたのは5年以上は前だったかな?32歳の時。
岡崎体育の曲に「婚活アプリ?うわ」みたいな歌詞があったので、当時は大っぴらにいうのがはばかられる雰囲気を感じてました。

でまぁ、始めたものの全く出会えない。
あまりにも会えないのでやめて、婚活パーティに年3回くらい参加してました。
そこもびっくりするくらいマッチングしなかった。
そのうち、地元の結婚相談所に入ったけど、いい出会いには結びつかず。

で、3年ぶりくらいにもう1度アプリを始めました。
そのころにはコロナ禍が始まっていて、なんだかむしゃくしゃして始めた記憶があります。ただでさえ人と会えないのに、これで出会いを始めなかったらいつ出会えるんだ?と一人で発奮してたと思います。
結婚物語。さんのブログを読んだのもこのあたりかな?

ameblo.jp

アプリのプロフィールを一新し、写真も撮りなおしてみたらポツポツマッチングしてきました。
ポツポツといっても100人いいねを送って10人くらい。
メッセージのやりとりは5人くらいで、会えたのは1人でした。
ざっくりした体感だけどたぶんそんなもん。

それでもまぁ、リアルで100人の人にアプローチしようと思ったら超大変なので効率はいいと思う。

ただ、その会えた1人と続かず、ものすごい徒労に感じて有料会員をやめてしまったんですね。1か月かけてメッセージして、1回会って終わり、て結構なショックですよ。

プロフィールも見た顔ばかりで(そういえば、7年くらい前からいる人とかいるけど、本当に出会いを求めてるんだろか)、新しい出会いもなくなりました。
その後ダラダラと続けてたら、今の妻とたまたまマッチングし、あとは現在に至る、と。

書いてたら長くなってしまった。
本当は地元市の相談所のお見合いや、街コンで会った人、アプリで出会った人の話も書きたかったけど、それはまたの機会に。

とりあえず、今の時代にアプリは効率いいと思います。
もしアプリがダメだったら…地元都道府県のサービスを使ってたかな?比較的安めだったし。
婚活パーティはたぶんやらないと思います。やるならなるべく多くの人と話せた方がいいかな。友達はそれでマッチングしてました。

数年やってダメだったら結婚相談所も考えていたかもしれません。ただ、お金がとってもかかるので、だいぶ悩んだろうなぁ。