KQ4のブログ

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

叩きたくなる心理

ネットの炎上案件が後を絶たない。
誹謗中傷コメントをする人は全体からするとごく一部なんだろうけど、どうしても目についてしまう。
「正義」の立場から相手を糾弾すると脳で快楽物質が分泌されるらしい。
それは集団において悪事を働くものがいると、その集団にとって不利益になるため、人間に備わった機能なのだろう。

しかし、顔も見えない、自分に直接関係のない相手を執拗なまで叩くというのは…と思うが、自分も叩きたくなる相手はいるな、とふと思った。

それは数年前のこと。
非常勤講師をしていた時の元同僚との間に起こった。
同僚といっても実際に一緒に働いたのは三か月。
それでも不思議とウマがあったのか、職場が変わってからも定期的に遊ぶ仲だった。
彼の結婚式にも呼ばれ、子どもが生まれたときには抱っこもさせてもらった。

そんな彼が奥さんと別居したという。
何があったのかを聞いても口を濁すばかり。
ただ、断片的な話をつなぎ合わせると、子どもが生まれたことで夫婦の仲がうまくいかなくなってしまったということだった。
まぁ、話したくないこともあるだろうと、深く追求することはなかった。

それから半年後経ったころだろうか。彼から一緒に富士山に登ろうと誘いがあった。
正確には俺から誘ったのかもしれない。
とにかく、人生最初の富士山ということでお互い張り切っていたと思う。

登山前日になり、彼がメールで「自分の同僚も誘っていいか」と聞いてきた。
ずいぶん突然だな、と思ったが、ふと疑問に思い、
「それって女性?」と聞いたらそうだという。

この時点で断ればよかったのかもしれない。
富士山登山は山小屋泊を伴う。
少なくとも彼と女性は(2人でないとはいえ)一夜を共にする仲である。
不倫の可能性が高い。

それでも、彼とは数年来の友人であり、もしかしたら奥さんのことや、別れてその女性と付き合うということを打ち明けてくれるのかもしれない。

そうして翌朝。
紹介されたのは9つくらい年下の綺麗な女性であった。
山を登る。
6時間ほどの行程。
彼は前を行く年配の方々の列にイライラし、次第に遅れる俺にもイライラしていたようだった。
「先に行ってもいいよ」というが、「仲間だから」という理由で何回も立ち止まってはイライラした様子で待たれていた。苦痛だった。

山小屋に着き、世間話などを終え、早朝に出発。
頂上から見る日の出はこの世のものとは思えないくらい綺麗だった。

その後頂上を一周し、下山。
今度は彼らは俺を待つことはなかった。
正確には俺がトイレに行くのを待てなかったようだ。
しかし、水がなくなってしまったのには参った。
前日に荷物を預けたのが失敗だった。

自分のペースで動ければどんなにかよかったか…

集団で行く頼もしさはだんだんわずらわしさに変わった。

下山し、合流。食事をとって帰路につく。

「いやぁ、やっぱりレンタカーと違って自家用車っていいですね」と彼がいう。
そして、「運転替わりますよ?」と何回も打診があった。が、そのたびに断る。
「君が運転した際、万が一のことがあれば保険が適用されなくなる。運転の腕前を信じていないわけではないので、お互いのためにそれはやめよう」と言ったが、彼は不満そうだった。バカなのだろう。

結局、彼からは何の話もなかった。
俺の方から彼女との関係を聞くと男女の仲ではあるという。
奥さんとはどうするのか、子どもはどうなるのか、友人として気になるので、話せるようになったら話してほしい、とそんなことを送って旅路を終えた。

そうしてまた半年ほどして、
「元気ですか?また山に登りましょう!」としれっとラインがきた。
これには堪忍袋の緒が切れ、半年前に送った内容はどうなっているのか、君の奥さんとも交流があり、子どもの顔も見ている。ずっと心配しているのに全く何の話もないのはどういうことなのか、と問うてみた。

しかし、結局内容は判然とせず、子どもとは月一回ほど会っていること。
奥さんとどうするのか、同僚の女性とどうしていくのかはさっぱりわからなかった。

結局は他人であるし、そこまでの信頼関係がなかったといえばそれまでだったのだが、
とても疲れた。
彼は多くの友人を失ったという。
家族からもだいぶ糾弾されたと。

それは、行為そのものではなく、「不誠実さ」そのものではなかったか。

一人の友人を失ったのだな、とその時思った。

たまに思い出しては彼の不誠実さを叩きたくなる。
でもそれは、誰のためにもならないし、自己満足にしかならないのだと理解している。

こんな気持ちも後数年もすれば風化するのかもしれない。それもまた寂しい。