とりあえずこの教育長は頭おかしいとして…。
県によっては社会人枠もあり、最近は社会人から教員になる人も結構います。
自分もそうで、その後また民間に戻ったわけですが…。
現場にいると、社会経験の有無に関わらず、優秀な人が多いなぁ、て思いました。仕事の段取りやクラスの統率力、根回しの上手さだったり。
ただ、下手に社会人経験があると、独特の教員世界になじめなかったりします。(自分だけかな?)
無駄な仕事の多さや、仕事の区分がないこと(あっても形だけ)、駄目な意味で上下がない人間関係などなど。授業は仕事の1割くらいでしょうか…。
休みはとれなかったです…。
休んだのは身体を壊してから。
ほどなくして、直属の上司が心不全で亡くなりました。辞めることにまったく躊躇はなかったです。
教員が何を教えるか、なのですが…。
親が主に生活や共に時間を過ごしていく中で色々なことを教えてくれるように、
教員は基本的にその教科を通して色々なことを教えてあげればいいんじゃないんか、てのが理想です。
そこに社会人経験があればより厚みのあるのことを教えてあげられるとは思いますが、別になくてもその教員個人が子どもの現実を踏まえ、大切だと思うことを伝えていけばいいのではないか、そう思います。
ていうのも、社会人経験て千差万別で…。
自分も営業から販売から色々やってたけど、学年の大部分が工場、しかもそれがまだいい方で多くはフリーターや家事手伝いという進路に進む子らにとってはその社会人経験は「リアル」じゃないんです。
進学校になると目下受験でそれはそれで「リアル」ではない。
これが高校じゃなくて小学校や中学校になるとさらに「リアル」でなくなり、「遠い将来の話」となる。
社会人経験それそのものより、そこからいえる「人生」というか「信念」みたいなものを伝えることが大事なのかな、と思います。子どもにとって「遠い話」じゃなくて、「これは今の自分にとって大切なんだな」と思ってもらえるようなことが。
これは教員世界しから知らない人でも可能です。
というより、教員経験を積めば積むほど、それこそ一般企業では体験しないようなことを経験せざるを得ないからです。
母親が別の男の家に入り浸って家にいなかったり、両親に捨てられ、親戚の家で育った子どもにどう接するか。どんな言葉をかけてあげるのか。
普通に過ごしていればまず縁のない、ドラマの世界のような話に教員は突っ込んでいかなければなりません。
何年もやっていませんけど、俺には教員は無理だった。
「他人の人生を預かる」が言いすぎなら、「他人の人生の一時期を共有する」仕事です。
どんなに傍から見て駄目な教員でも、その子の目の前で「先生」ができるのはその人しかいない。
そこに通用する社会人経験なんてないと思います。
通用するのは、その人のそれまでの人生で培ったものしかない。
それを培う一番の環境は結局「教員」として過ごした年月なのではないか、自分はそう思います。