KQ4のブログ

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

誰が、何を評価してくれるのか

ここのところネット環境が悪く、ブログが更新できませんでした。
今日は職場での評価について。

私の同期には仕事ができる方がいます。
対人も事務仕事もできて、緊急時にも冷静に対応でき、私が退職をするというときも
管理職に辞めないよう掛け合ってくれる情のある方。

でも、最近は仕事に対するモチベーションを失っているようです。
仕事をやっても評価されないのが理由のようです。

よく言えば、自分なりにその時必要なことを判断し、最適なことを行っている。
しかし、上司から見ればそれは自分勝手な判断で行動してしまっているということにもなります。

また、同期は仕事を「やった分」評価してほしいと思っているようですが、上司は当然「やらない分」をマイナスします。プラマイゼロ。
自分が評価してほしい部分と上司が評価する部分に致命的なズレがあるようです。
特に、私の会社は福祉職なので成果が非常に見えづらいため、ここがズレの原因になっているようです。

私自身も経験があるのですが、ここのズレが生じるとがんばっても評価されず、むしろ頑張れば頑張るほど「あいつは扱いにくい」「使えない」という評価をされてしまうのです。なんなら「頑張らない」方が評価につながることさえあります。

例えば、接客業において「私はお客様1人1人に丁寧に接客をしたい」と思ったとしましょう。その結果、客単価が上がり、売り上げも上がります。
しかし、上司は「もっとスピーディに、多くのお客様に喜んでもらえる」ことを評価するとしたら…1人が10万円使うことよりも、10人が1万円使ってもらった方がいいとしたら…
これはどちらがいいという問題ではありません。
あくまでも会社の方針や上司の立場で変わります。

私は基本的にじっくり型なので、すぐに結果は出せないのですが、だんだんと「安定感がある」「荒れた職場を立て直してくれた」と評価されることが多かったです。

反対に、即断即決を求められたり、「元気ハツラツ」を求められると非常に弱いです。

このように、「誰が」「何を」評価してくれるのかは非常に大事です。
「誰が」は会社(上司)、「何を」は言うまでもなく自分(能力、特性など)です。

とはいえ、会社は入ってみるまで分からないし、自分の能力だって色々なことに挑戦しないとわからないです。

同期の話に戻りますが、この「何を」の部分にこだわりすぎると決して「結果」は出せないのです。残酷なことかもしれませんけど。
じゃあ何が大事か、て結局はコミュニケーションに尽きます。

自分はこんなことをがんばりたい。
会社はこんなことをがんばってほしい。

まぁ、そんな明確に評価指針を持っている会社ばかりでもないので、その場の運やアピール(ハッタリ)も必要なのですが…
私自身、今それなりにやってるのは運に因るところが大きいです。

視野狭窄にならないよう気を付けたいものです。