今日は珍しく退勤前に会社の同僚と話し込んでしまいました。
きっかけはなんだったかわかりませんが、主に社会保障を受けている人に関しての意見と、職場の人たちの主体性についての話でした。
前者の話は知り合いから「生産性のない人たちを保護して何になるのか」と言われたとのこと。
そこまで言わないにしても、保護を受けている人の方が、そうでない人よりも裕福なケースもあるから羨ましいというもの。
これに関しては、そもそも保護がなければどうなるか、という視点が抜け落ちていると思いました。
私たちのサービスは障害を持った方が対象です。保護がないということはその人たちを放置するということ。
社会の受け皿が多いということは、それだけ多様な生き方や、安全保障があるということになります。
例えば、私が事故にあって働けなくなってもセーフティネットがあれば生きていくことができます。
いや、それとは違う、障害者は別だ、と言われるかもしれません。
別、てどこまでが別なん?
誰を保護するべきで、誰を排除するんだ?
障害の程度によってそれは決まるのか?
生産性ってなんだ?
て話になってきます。
同僚の知り合いはおそらくやっかみ根性で言ってるのだと思いますが、「必要のないやつは排除」となる社会がどうなるかを一度よく考えてもらいたいし、福祉業界にいる以上、同僚には
それに言い返さないまでも、憤りを覚えるくらいはしてほしいです。同調してる場合じゃないのよ。
あえて下品な言い方するなら俺らの仕事は無意味と言われてるようなもんやぞ。
あと、生産性にこだわりすぎた結果が相模原の殺人につながってると俺は思ってます。
あと、裕福だからいい?て、それならその方のハンディを、苦しみを代わりに背負ってあげてください。
ここまで書いて、なぜ福祉が存在するかという歴史を学ばないと、この辺は難しいのかもと冷静になってきました。
長くなったので、後半の主体性の話はまた後日。