KQ4 DIARY

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

経験に学ぶ

 書こう書こうと思ってブログを書くのが今になってしまった。
前回のブログで100人くらいとあった県の感染者数はもはやケタが変わってしまった。
まだ半年しか経っていないのに信じられないが、よくここまでがんばったな、とまず自分を褒めたい。
 書きたいことは自己虐待とか書くこととか、正義とかについてとか維持の話とか色々あるけど、とりあえず標題に関して。

 「愚者は経験に学び、賢人は歴史に学ぶ」という言葉がある。しかしこれ、賢人というのはほとんどいないのではないか、と思う。賢人がこの言葉を自覚するにはやはり、経験を通してではないか。初めから賢人はいないのではないか。
 政権批判というのを普段しないのだけど、この年末年始やその後の対策に関して、どうにもちんぷんかんぷんなことばかりされている気がして仕方がない。非常に他人事感を覚える。というのも、危機感があればまず会食もしないし、笑顔で生放送もしないし、周回遅れの特措法や病床確保の話なんか出ないと思う。
 最初に言いたいのは、別に外国が羨ましいとかは思わない。なんだかんだ感染者数、死者数に関してはまだ日本は低いから。現時点では。あと、百点満点の対策はありえない。何を重視しても必ず被害者は出る。全員を救えない。でも、全員を救う姿勢は欲しい。俺個人はそもそもイタリアのニュースの時点でかなりの恐怖を感じていた。職業柄もあって、自粛も早い段階でしていた。ただ、波が収まってきた段階で会食も少人数でしたり、2人で呑みなんかもやっていた。
 それでも職場的には緩く、それ以外の人よりは厳しいと感じている。前回のすり合わせが難しいのはそんな状況で書いたものだ。
 

 で、経験に関して。物事の捉え方って、その人の経験に左右されると思う。当たり前だという人もいるかもしれないけど、このことを前提にしないと「それは間違っている」「あいつはおかしい」といった水かけ論になりがち。で、俺は不幸なことがあったとき、「なんで俺がこんな目に」て思う。車のスピード違反で取り締まりを受けた時とか、「普段はこんな目に遭わないのに」「他の車もやってるのに」て思わないだろうか。俺は思う。そもそもスピード違反したの自分なのに。

 で、一度でもスピード違反で取り締まられれば、とりあえずスピード違反で捕まった経験はできる。想定外ということにはならない。2回目があったとしても「運が悪かったな」とは思うかもしれない。その前に気をつけて違反しないのが一番だけど。
 これは俺が経験から学んだ例。でも、一度も経験をしていないと、そもそもスピード違反で捕まることさえ想定せず、法定速度違反をしてしまうかもしれない。

 例を間違えた気がして仕方がないけど、そもそもコロナ感染者が身近にいなければ行動は変わらない人もいるのではないだろうか。いても軽症・無症状だったり。
 で、件の政治家の人は「そもそも自分には無関係」と思っているのではないだろうか。そう考えると行動には納得できる。
 
 俺は素人だし、どちらかと言えば医療者よりの立場ではあるけど、利益に左右される仕事もしている。だからこそ思う。締めるときに一気に締めて欲しかった。締める・緩める基準をつけて欲しかった。感染対策を前提にした経済対策をしてほしかった。各国の惨状に学んでほしかった。経験ではなく、歴史(過去の知見・データ)に学んでほしかった。賢人であってほしかった。 

 しかし、これはしょせん他人に求めることであって、自分のことではない。
自分でどうにかできること以外を考えすぎるのは良くない。俺は自分より偉い人、知識を持った人に期待しすぎてしまうきらいがあるが、それは俺自身へのコンプレックスからきているものかもしれないし、巡り巡って他者を貶める考え方なんだと最近思っている。

 まとまらない。やっぱり言及し慣れてないことはするもんじゃないな。
 明日からも対策しっかりしてがんばろう。