KQ4 DIARY

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

与えられることに慣れること

久々のブログである。

いろいろなことがあったけれど、今は概ね順調であり、不満もない。

認めたくはないけど、不満がないと特に書くことがない。

いいことは言葉にするまでもなくいいことであり、するとしても短い言葉で済む。後は写真とか。TwitterInstagramが流行るわけである。

わざわざ長文にするとしたら、何かのレビューであるが、それはAmazonなどに書いてしまっている。


それはそれとして、ふと思ったことがあるので書いておきたい。


自分は、「幸せは自分で見つけるので、余計なストレスや嫌なことを与えないでほしい」というタイプである。


どういうことか。


プラスの状態であるより、マイナスがないことを好む。


そんなの、誰でもそうじゃない?と思うけど、いやいや、何をマイナスととらえるかが肝要である。


例えば、職場では給料が低いことを不満とする人が多いが、俺はとりあえず生きていけて、少なからず貯金も出来ているのでは不満はない。


出世競争やノルマもなく、日々それなりに充実している。


反面、やりがいと呼べるものはないのかもしれないが、その辺は小さいながらも自分で見つけているつもりである。

一応の自己啓発もしている。


不満が多ければ転職するので短いものを含めれば8回ほど転職している。

非難する人もいるがそういう人はたいてい自分の環境に満足がいっていないのだと気にしないようにしている。


話を戻す。やりがいに関し、ノルマや報酬があった方が分かりやすい、という人もいる。

ただ、そんな職場に嫌気がさしてノンビリしたところに来ると最初は良くてもだんだん物足りなくなってくるのかもしれない。

やった仕事に対して報酬が見合わないと訴えるようになった。


それは正しいのだろう。


しかし、やったことに対して正当な評価なんてものをもらったことがない自分としては全然ピンとこないのである。


そんなことを気にするなら仕事の不満を最小限にして、自分なりの幸せを見つけた方がいいと思ってしまう。


やりがいのある職場、やりがいのある環境。


聞こえはいいのだけど、それって「やりがいを与えられている職場、環境」なんじゃないのか?


与えられることに慣れると、自分で見つけることが下手になる。


高校までは充実してたけど、大学来て自由になったらつまらなくなった、という人がいる。


セカンドライフが充実せずに、退職しても職場に行ったり、名刺に元職場の肩書をすって人に配る人もいるとか。


そこに幸せなんてないと思うのだけど。


そんなことをふと考えた。