分裂勘違い君劇場http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/
20代前半はまさにこの「好きを仕事に」という概念にとらわれていた。
就職活動中はこの「好き」が形を変え、さらに「好きを仕事に」という概念もぶれ、ブレにブレて「書くことが好きだから、編集もできる営業職」という仕事に無事墜落した。
その後、「とりあえずできそうな仕事」と「好きを仕事に」の間をさまよう内に7社を経験することになってしまった。
記事内でいえば「ギリギリ不一致」から「ギリギリ一致」を揺れ動いていたというか。
志向としては一致を目指したかったのだけれども。
「好きを仕事にできるかどうか」は結局のところやってみなくてはならない。
入念な準備や、没入が必要なのかもしれないけれど、それすら「好きを仕事にする」ことを選択した後でしか分からないのだ。
結果、自分はできなかった。一致タイプはやめ、ギリギリ一致するか不一致するポイントを探して仕事を選ぶことになった。
で、今までの経験から「嫌なこと」を除外できる仕事に的を絞った。
・仕事の拘束時間が長い
・競争的な雰囲気
・休日が少ない
・休日も仕事のことを考えなければならない
でまぁ、これら「嫌なこと」を全て除外できる仕事に就くことができた。
しかし、これって結論「運」が良かったとしか思えないのである。
入ってみなくては、いくら面接で上記を確認しても本当のところはわからない。
特に職場の雰囲気とか。
これまでの経験も役には立っているが、別になくても問題はない。
今までの経験があったからその仕事ができたのかもしれないが、本当にそうかもわからない。
さらに、仕事を続けていくうちに、諦めていた「好きを仕事に」が叶う可能性すらある。そう、「仕事を好きになる」というありふれた陳腐な表現をされたあの言葉をなぞるように。
反対にますます不一致になっていく可能性もある。
今はただ、「嫌いなこと」が少ないという、最大の幸福を味わっていたいものである。
それがまた、自分の幸せの志向を定義しているのかもしれない。
すなわち、「好きなことが多い」のが幸せか、「嫌いなことが少ない」のが幸せなのか…。
エントリを読んで、自分も思わず記事を書いてしまった。
好きなことがないなら、嫌いなこと、まるで興味のないことをピックアップし、そうじゃないところと、それなりにできそうなことや少しでも関心のあることをマッチアップすることができていれば、幻想にすがることもなかったのかもしれないなぁ、とぼんやり思う。