KQ4のブログ

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

ブログを書くとき

誰にも読まれないブログを書き続けていたら、いつのまにか150以上の記事が溜まっていた。

 

最近はブログが衰退した、という記事を見かけたが、面白いブログは今でも面白い。

140字や画像だけでは、ドーパミンが噴出されるばかりで、満足感は得られない。

そのうち虚無感すら覚える。

 

虚無。そう、この虚無を埋めたくて俺はブログを書く。

 

以前はひたすら不安を消すためにブログを書いていた。

今はその不安たちは消えた。仕事の不安、転職の不安、人生の不安。

 

いつしかそれらは薄らいでいった。

平穏な日常。コロナはたまらなくストレスフルだったが、以前のそれらに比べると緩慢なストレスだ。緩慢だからこそキツいのだけど。

 

虚無。人生は続く。意味などない。

虚無もまた不安なのだろう。

答えは決まっている。

生きるから生きる。

生きるなら楽しく。

 

今の若者は批判が嫌いという記事を読んだ。

ハッピーエンドしか見たくないのだと。

 

現実が辛いのだから好きなものをいちいち否定されたくない。

物語くらいハッピーエンドでいてほしい。

当たり前ではなかろうか。

 

ただし、物語を倍速でみる、これはダメだ。

効率てなんや。コスパてなんや。

そんなん、自分の人生のコストを下げて軽くなってまうで。

 

軽くなった人生はどこまでも浮いて、生きる価値すら軽くなるで。

 

とまぁ、そんなことを考えずに汗をかいて生きるのが楽しいのだ。

 

最近、書く敷居がまた下がっている。

以前はPCをいちいち立ち上げるのがかったるかったが、フリックに慣れた今はベッドで記事が書ける。

また書いていこう。モヤモヤを晴らすだけのこのブログを。

書いた後はなんかスッキリするのだから。

最近腹の立つこと

言われて腹が立ったことをたまに思い出す「思い出しムカつき」をしてしまう。

大抵人に話せば昇華できるのだけど、話せないままモヤモヤするから思い出しムカつきをしてしまうのだろうな、と思う。

 

今ムカついてるのは以下

・「(いい大人なのに)アニメなんか見るな」

・結構ないい歳した大人がSNSで「死にたい」みたいなつぶやきをする。

 

書いているうちに一つ消化できたので消した。

一つ目も別にどうでもいいのでは?と思ってきたけど書く。

やっぱり価値観を押し付けられるのは嫌だよね、という話。

 

二つ目はそれをつぶやくくらいなら相談してほしい、というのと、いい歳なんだからその類は卒業してほしい、という気持ち。

 

一つ目と二つ目は矛盾しているかもしれないが、自己否定という価値観だけは容認できない。

アップデートできない男たち

「あなたは令和時代にアップデートされてるよね」

と嫁に言われる。

 

ちょうど逃げ恥婚の話題になったときだった。

ドラマの中で、平匡さんは「夫婦は共同経営者」みたいなセリフがあったらしい(俺は未視聴)

 

「そのセリフ、分かるわぁ」と言ったところ、冒頭の言葉になった。

 

令和かどうかは分からないが、職場や身内から聞く「夫像」はなかなかに辛辣だ。

 

ただまぁ、言われても仕方ないほどに「夫」は家のことをやらない。

炊事、洗濯、掃除...に留まらず洗い物をシンクに持っていかない、脱いだものを脱いだままにする、散らかしたら散らかしっぱなし...

 

一人暮らしをしていた人もいるだろうに、一人でどうやって暮らしてきたのか、というレベルであるが、きっとそうやって暮らしてきたのかもしれない。

「旦那は早いうちに躾た方がいい」という助言を歳上の世代から言われた、という話もよく聞く。

 

そこまで言われるくらい家事をしないという感覚が、俺にはよくわからない。

少なくとも共働きならば家事は2人でやった方が効率がいい。夫婦間で給与の差があるのかもしれない。それでも全くやらないというのはありえない。給料が得られなくなったら家族のお荷物です、と言わんばかりだ。

働いているときに家事をしないやつが引退後にやるわけがない。

 

家のことというのは個人のことではない。家族のことだ。家族それぞれが、どうやったら快適に家で過ごせるかを考える必要があると思う。

冒頭の平匡さんのセリフはそれを端的に言い表している。

 

少し話が変わるが、友人から「上司がテレワークを取りやめたがっている」という話があった。

友人はこういった。

「思考をアップデートできないやつは仕事できない。」

 

仕事ごっこや家族ごっこではなく、きちんと仕事をして、家族で幸せになりたいと思うばかりである。

ケーキの切れない非行少年たち

書店で続編を見かけ、「そういえば気になってたけど、1作目読んでなかったな」と購入。

一気に読んでしまいました。

ここで語られている少年たちの特徴が、勤務施設の利用者たちと重なり、「これはうちの職場のことなのだろうか」と思ってしまいました。

知的障害や、ボーダーにいる人の特徴として、「見通す力」がないとは思っていました。
「それをすれば、結果としてこうなる」とか、「今のうちにしておけば、後々利益が出る」ということが分からないのです。
そのため、常に目の前のことしか見えず、刹那的で、同じ間違いを繰り返す…

ここまでは経験でわかっていた部分。
問題はこの先。

そもそも、問題を問題として認識していない。
言葉が分かっていない。意味が通っていない。

すなわち、認知機能の問題(歪み)であると。

目が合っただけで「あいつは俺をバカにしている」と被害妄想にとらわれている人を思い出し、とても腑に落ちました。

とすると、問題行動を起こす人に対し、いくら道議や理屈を説いても伝わっていないのではないか。
同じ問題を何度も繰り返すのは当たり前なのではないか。

そう捉えることができました。

岡本茂樹先生の「反省させると犯罪者になります」を読んでいたこともあり、「そもそも反省以前の問題である」という言葉がすっと入りました。

社会面、教育面(認知)、身体面の支援が必要と説いており、この支援に関しては続編に期待しています。
解決の糸口である、「自己への気づき」と「自己評価の向上」はすべての人にとって大切なことだと思います。また、「褒める教育だけでは問題は解決しない」のところはドキっとしました。

教育や福祉分野で勤務している人はもちろん、人と関わることそのものについて学びたい人に。

スマホ脳(2)

第六章
SNS
人間の脳は悪い噂が大好き。共同生活、同集団の中でうまくやっていくため。
反社会的な集団やタダ乗りを防ぎ、殺されるのを防ぐ。
ポジティブな話もモチベーションにはなる。

自分の話をすると側坐核が反応し、報酬がもらえる。これが活性化するほど、SNSでも積極的になる。しかし、同時に孤独にもなる。他人の方が優れていると感じるとセロトンが減り、うつ状態となる。比較対象にさらされ続けてしまうのだ。
SNSに費やす時間が長いほど、人生の満足度は下がる。
がしかし、良くなった人もいる。
不安を抱えやすい人はSNSをしない方がいい。積極的なユーザー、つまり交流活動をする人間は満足度が上がるが、消極的な使い方は下がる。

ミラーニューロンは感覚の発達に役立つ。対面や演劇では活性化されるが、映画ではそうではない。

第七章
バカになる子どもたち

ドーパミンシステムは大人ほど鈍くなる。アルコールの未成年の禁止やバイクの保険に18歳以下が入れないことなどもこのため。
衝動を抑える前頭葉は年齢を重ねるほどに発達する。
知的障害者が目の前の衝動を我慢できないのはここに関連するのではないか。

スマホ脳(1)

自分のためのログです。

第一章
人類はスマホなしで歴史を作ってきた。

カロリーが高いものをたくさん食べてしまうのも、ネガティブな感情がポジティブな感情より優先されるのも、歴史において人類が生き延びるため。

第二章
ストレス、恐怖、うつには役目がある。

①ストレス
ストレスを受けると「コルチゾール」が分泌され、「闘争か逃走か」を行う。
ずっとこの状態になると睡眠も消化も繁殖行為も後回しになる。
海馬の働きも悪くなり、記憶があやふやになる。

②恐怖
偏桃体は「火災報知機の原則」により、ストレスになりえるものに反応する。特に周囲の危険に目を配り、小さなことでも警報を鳴らす。これが恐怖である。昔ならいいが、遅刻や大きな音、いいねが付かないなど、現代において偏桃体は反応しすぎである。偏桃体は人類にとって過去に恐怖だったクモや高いところやヘビに反応し、自動車には反応を示さないミスマッチも起こっている。

③不安
起きるかもしれない、という予知によって「闘争か逃走か」に備える。人間特有のものである。精神的に落ち着かない、身体が落ち着かない、お腹の不調、吐き気、口の渇き、汗、それらはすべて闘争か逃走かに備えるためだ。

④うつ
うつは強いストレスの後にやってくる。気力をなくし、人を避けるのは自分を守るためと推測できる。うつになる遺伝子には免疫機能を高めるものもある。うつは感染症やケガを避けるための働きがあるのではないか。
不眠、お腹の不調、記憶の低下、いらだちは鬱になる前の警告である。
マウスからセロトニン(うつになる遺伝子)を取り除くとストレスの耐性ができた。でも、このセロトニン等がないと人類は生き延びることができなかったのだ。

第三章
スマホは私たちの最新のドラッグである。

ドーパミンは行動を促し(食べ物を食べろ)、エンドルフィンが満足感を与える。
食料、人付き合い、セックスもドーパミンを発する。スマホもそうである。人間は新しいことを好む。新しい食料を探しやすくするためだ。インターネットのページに4秒ととどまっていないのはそういう理由だ。

ドーパミンは不確定な未来「期待」に反応する。サルも餌が3~7割で出てくるレバーにドーパミンを放出した。たまにしか鳴らない実を見つけるには不確定なものに行動を促す必要があるから。ギャンブル、SNSはまさにそういう仕掛けでできている。
IT企業のトップはそれが分かっているので、自分の子どもにスマホを与えなかった。

第四章
集中力こそ現代社会の貴重品

マルチタスク派は記憶力がない。脳はマルチタスクを好むが、それはやはりいろいろなものに注意をする必要があったから。
スマホはそこにあるだけで注意力を奪う。違う部屋に置いた人の方が集中力が高かった。
また、手書きメモの方がPCにメモするより記憶に残る。脳がPCにあるなら忘れてもいいと判断するからだ。スマホがあると、同席した人は食事が楽しめなくなる。気が散るからだ。

第五章
スクリーンがメンタルヘルスに与える影響
スマホをなくすと、コルチゾールが分泌される。ドーパミンを放出する物質を探させようとするためだ。
睡眠への影響も大きい。

つながる

30代も後半を迎えた最近、昔に比べると生きやすくなったなぁ、と感じる。
要因としては職場環境によるところが大きい。だけど、そこに至るまでにはこれまでやってきたことがつながっていたんだな、としみじみ思う。

今、自分は福祉施設で事務職をしている。現場で2年働き、異動希望を出したがかなわなかったので転職しようとしたところ、引き止められて現在に至る。
それまでも事務職になろうとはしていたが、未経験ということもあってことごとく不採用となり、やむなく福祉職に就いた経緯がある。

事務職になった今、役に立っているのは店長時代に培った売上計算や予測の計算だ。
でも、その時の上司に叩き込まれた「働きやすい環境を作るのも仕事のうち」という考え方や「物は必ずもとあったところへ」という些細なことが本当に役に立っている。

店長になる前は地方メーカーのエリアマネージャーをやっていた。そこでは販売スキルも大切だけれど、自分より年上の女性パートさんとコミュニケーションしてきた経験がとても役に立っている。
当時の上司には裏切られるという苦い経験もあったが、自分の仕事に責任を持つということの大切さを身をもって知ることができたともいえる。

その前には教員、その前には一販売員と色々やってきた。
コンプレックスでもあったそんな経歴・職歴が今の自分を支えているのだと思う。

結婚相手と巡り会えたのも教員だった経験が大きい。
余裕がないときや大変なとき、そのころの経験があるので相手を思いやれている。
さらには、家族の問題も相手を理解する一助となった。

俺は余計な苦労なんてしない方がいい、と思う。苦労なんてしなくても、得られる経験はある。
でも、今ここに至ってはこれまでやってきたことが実を結んだのだと、そう思う。

そして、それはいくつもの偶然が積み重なり、運がよかっただけ、とも思う。
でも、その流れのきっかけは自分が作ったのだと思いたい。
何もしなければ何の流れも生まれないのだから。