KQ4 DIARY

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

強かに

「あの時、こうしていれば」というのはともすれば今となってはどうにもできない、考えるだけ無駄なことかもしれません。「たら、れば」という言葉は考えても無駄、というのは確かにそうかもしれません。

後悔先に立たず、とも言います。それでもそういうことを考えてしまうものですし、それが今後、何かの役に立つことはあると思います。そう考えることで、後悔は反省となります。

前職の同僚と話をしていて、「こうしていれば違ったのかな」と思うことがありました。
当時、私は上司の「あの仕事は片づけておいたから」、「この仕事はここまでやっておいてくれればいいから」という言葉を鵜呑みにし、結果、それらの不始末を負うことになりました。

当時は「俺のせいじゃない」と強く思いました。いえ、事が発覚したときは、「俺のせいだ」と強く思っていました。なぜなら、その不始末を責めたのも上司で、私をフォローする形にもっていったのも上司でした。
また、上司はそれを「本気で」行っていました。


つまり、ミスをしたのは私で、それを注意し、フォローしたのです。

過去に何人もそのような状態に追い込まれた人はいた、と周囲からは聞こえてきました。
実際にそういう目に遭った人も見てきました。
(余談ですが、上司によって閑職に追いやられた人が返り咲いたため、上司は会社を退職する羽目になったそうです。「ざまぁみろ」という感情があったことは否定しません。)

ただ、それを抜いても、当時の自分は仕事に対して責任を負う、ということを甘くみていたのです。
上司の言葉に惑わされず、しっかりと仕事の目的地を定め、確認し、進めていく。
そういう態度があればあのようなミスは起こさなかったのではないか。
主体性のなさがそれらを引き起こしてしまったのではないか。

今日、元同僚と話していて自然とそういったことが反省されました。

ただ、それは感傷の一つに過ぎないのかもしれません。
上司が退職したことを聞いて、そう思っただけかも。
現に、やはりあのまま仕事を続けることはできなかったと思う自分がいます。

それでも、仕事に向き合う態度と、組織でやっていくしたたかさは持ち合わせておくべきだと、そう心に刻んでおきます。