ふと、昔見ていた夢のことを思い出した。
坂木司「ホテルジューシー」という小説を読んでいた時のことだった。
これは長期休みを利用してリゾートバイト(沖縄のホテル)に来た主人公の女子大生が様々なお客との交流を通してなんやかんやするお話だ。
ネタバレになるのだが、その中の一遍に弁当屋を営む若い女性との出会いを描いたものがあった。
あまり人が多いとは言えない通りで、安いとは言えないお弁当を売るこの女性。
「自分がやりたいことだから妥協したくはない」といい、主人公に夢を語る。
夜は同じように色々な夢を持った若者とパーティーを開き、語り合う。主人公はその輪に入りながらもふとした疑問からその女性と喧嘩してしまう…。
でまぁ、この女性、いわゆる売春に手を出すことになる。
斡旋者の男性は「多いんだよ。店を出すということの辛さと向き合うこともせず、自分本位のわがままをこだわりと勘違いしてるようなやつが」と女性を助けようとする主人公に言い放ち…
細部は違いますが大体こんな感じだったと記憶してます。
物語の結末は読んでのお楽しみとして、こんなふわふわした夢を俺も持ってました。
一時期「自分探し」という言葉が流行った頃、カフェを初めとする飲食店経営に関する本がやたらとありました。
最初の仕事がうまくいかず、次の仕事も期限付きで地元の生活にも行き詰まりを感じてきた頃、俺はこの「夢」に飛びつきました。
具体的にはカフェを開きたく、そのための勉強としてコーヒー豆の小売店に就職することになりました。
「電車に乗って二時間ちょっと、いつでも帰れると思ったのがそもそもの間違いだった」みたいな歌詞どおりの展開になってしまったわけですが、この夢から覚めるには都会に出て実に1年以上の時が必要でした。
夢が覚めたとき、それは実際にカフェを開こうと現実的な資金や運営について調べ始めたときでした。
現実を知ったとき、まさに夢は音もなく消えていったのです。
でも、本当ならとっくにその情報を集めてしかるべきで、その情報を元にして資金集めや具体的な運営方法を考えていくべきだった。なのにそれをしなかった。
やりたいこと、とか夢、というのは実に現実をうまく忘れさせてくれるものなのです。実態を知らなければ知らないほど、想像を都合のいい方に曲げて、現実の泥臭さには目をつぶる。むしろ現実の泥臭さから逃れるために目をつぶって夢を見ていたのでしょう。
「夢」とは実にいい字をあてたものだ、とそう思います。
元々は独立して安定して仕事をしたいという動機が、安定すらままならないものだと知ったとき、夢は夢ではなくなったのです。
現実逃避は現実逃避で、きっちり逃げ切ることが大事ですね。もっともらしい理由で未来を曲げてはいけません。