KQ4 DIARY

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

重要感

 かの有名な自己啓発書を読んでいたら、「人間とは自己重要感を強く求める生き物だ」という記述がありました。

 これ、いわゆる「自己肯定感」と同じなのかなぁ、と思ったけど、後者はもっと繊細で受身的なイメージですね。「自分は自分でいいんだ」が自己肯定感なら「自分は重要な存在なんだ」というのが自己重要感。こっちのがより貪欲なイメージがあるし、「人間が」求める、というとこっちだと思います。

 でまぁ、一時期人を動かす、ということについて悩んでたのでこの本を手に取ったわけですが、手に取った頃にはもう悩みも消えてました。その原因であるバイトが辞めてったということもありますが、元々の悩みの出所が上司に言われたから、ていう消極的なものだったのが一番大きな要因だった気もします。一週間くらいでどうでもよくなった。

 上司に何を言われたかというと「従業員が自分たちで店をカバーしていくような、お前のためなら動きますよ、というような信頼を築け」とかなんとか言われたわけです。求人広告費削りたいだけだろ、とかそもそもお前と信頼関係築いてるやついんのかとかを飲み込んで腹下してすっきりした感じです。本題に入ります。

 

 人間がいかに「自己重要感」を求めるかの例についてはそれこそその本に書いてあるし、自分も腑に落ちるところではあるので割愛します。

 問題はその人にとって何で「自分が重要である」と感じるかと言うこと。それも書いてはありますが、俺にとってはここがかなり切実でした。

 

 いつものように教員時代の話になりますが、生徒たちが「自分が重要である」と感じるための要素に学校生活がひどく馴染まなかったわけです。運動も勉強も秀でるものを持たず、挫折すらできないほどにそれらを諦めた結果たどり着いた場所。中にはそこですらこぼれていく子らもいました。

 そうするといかに同世代から見て一目置かれるか、とかそんな話になります。手っ取り早いのはルールを破ることだったり、悪い意味で目立ったりすること。社会的に一目置かれるのは努力がいるし、ダルいわけです。そもそもそれができなかったわけで。

 

 今回俺の悩みの種の一つだった高校生バイトもそういう子でした。別に売上伸ばせとか言わないのでクレーム来ないようにするとか普通の業務を普通にこなして欲しかっただけですが、それが出来なかった。何一ついいところなく、同じ従業員からもスーパーからもお客さんからも呆れられて辞めていきました。

 

 お店のためにはこれで良かったし、急な穴埋めに追われることがなくなったことでホッとしてはいますが、どこかに引っかかりを感じるのは前職ゆえでしょうか。小売経験が長く、前職で某コンビニの店長だった先輩は「そっかぁ」くらいの感じでしたし。

 

 その人にとって必要だろうなぁ、という言葉を頭で考えて言った結果、とても感謝されたことがあります。その感謝が真意かは分かりませんが、感謝されて気持ちいいどころか罪悪感すら感じました。

 また、その人にとって重要でもないことを誉めたところでその人の行動は変わりませんでした。好ましくないことに重要さを見出してしまった人はそこでしか自分を満たすことができないようです。

 

 反対に、他人から自分のどこを誉められると嬉しいか、というのは自分の在り方を知る一番の手がかりかもしれません。自分の振る舞いや生き方に戸惑っている人、生きる意味がよく分からなくなっている人はここを考えてみてはいかがでしょうか。

 

 これが分かったら、今いる環境でそれが満たせるか、ということを考えることも重要です。

 俺が今の仕事をそんなに辞めたいと思わずに続けているのは仕事に自己重要感を求めなくなったからだとは思ってます。仕事は仕事で、その如何で俺自身を損なうもんじゃないし、そもそも生活のためだし、てことで。

 

 自分に疑問を持ちながら生きることほど辛いことはないです。そこに他人から非難や叱責を浴びせられると人間というのはたちまち弱ってしまう生き物です。逆もしかりで、少なくとも自分は他人を追い込むような真似をしたくはないです。色々面倒くさいし。

 

 じゃあ、他人の自己重要感てどう満たせばいいんだろ。

 たぶん、これが今でも引っかかっている部分だと思います。同時に、自分で自分の重要感くらい見つけてくれよ、てかそんくらいの努力くらいしろよ、て思ってしまうあたり、やっぱり下向きにいく人間を引っ張りあげる仕事は向いてないんだと思います。「やっぱりこうなっただろ」という結果を見ることはとても疲れますから。

 

 あなたはどういうときに自己重要感を得るのでしょうか?