KQ4 DIARY

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

生き方の強要に従うか、拒否するか。そして、諦めてやり過ごすのか、別の道を示すのか。

「疑わない」という怠惰について(24時間残念営業)

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/

 いわゆる「ブラック企業」というものの持つ理念について「怠惰」と言ってのける

言葉の選び方に脱帽すると共に、これに対する「違和感」をはっきり言語化してもらえてすっきりしました。


 すっきりした段階で言うこともないのだけど、久々にちゃんとした時間に帰ってこられて、持ち帰り仕事もないので自分の経験談とからめてつらつら書いていこうかと。たまには真面目なこと書きたくなるし、書いてるとなんか落ち着くので。

 

 飲食や小売の仕事の特徴に「ひとつひとつは単純作業でも、それを組み合わせて充分な速度で動かなければならないとなったときに、非常に複雑になる」というものがある。そしてそれを達成するためには「きつい状況で本人の意志とか無関係にがんばらされる」というのがいちばん速い。つまり体育会系だ。

 

 自分が二社目に入った会社(小売)では1日12時間労働が当たり前だった。それが定時で、通常は14時間、セール中は16時間くらいになる。「12時間労働の代わりに休みは多いよー」なんて言葉に踊らされて入社したものの、休日は通常の会社に比べてても少なかった。

 そんな職場の先輩はいわゆる体育会系だった。体力もあって、てか身体がマッチョで英語も堪能、飲み込みも早く上司への取り入り方もうまい。正直非の打ち所はなかった、と思う。

 しかし自分とはことごとく相性が悪かった。というか自分の仕事の飲み込み速度が遅かった。「ひとつひとつの単純作業を組み合わせて充分な速度にする」というのはかなり苦手で、どちらかというと頭で考えて手が後に来るタイプだったので、先輩からすればかなりイライラさせられる後輩だったと思う。

 「言葉にしなくても見てりゃわかんだろ!頭でイメージしてやるんだ!!」とはこの職場以外でも言われたことであるけれど、全然分からんかった。そんでもって体力的にもキツかった。しかし先輩にすれば「こんくらい全然楽でしょ」とのことで要は自分は「甘えた新人」だったようだ。辞表を書くに至るまで三ヶ月かからなかった。

 

 モチベーションはむしろ高かったと思う。仕事をできるようになりたいと思っていたし、先輩の人間性はくそでも迷惑をかけたくないとも思っていた。でも、そこの風土というか価値観の中では自分は役立たずであり、体力も根性もない人間だった。

 今ではそんな価値観と自分が相容れることができなかったと思える。でも当時勢い込んで入社しただけに、劣等感に苛まれることしきりだった。 

 

 教員時代はその体育会系的な風土が顕著だった。生活指導がメインの学校ではそういうものなのかもしれない。その他のとこ知らないからあくまでも自分のいたとこだけなのかもしれないけど。

 ここで自分の中で一つの矛盾を抱えることになる。

 

 モチベーションの低い人間を充分な戦力として活用したいと思うときに、これ以上に効率のいいやりかたを実は知らない。充分な負荷を与えられて、必死にやって、結果が出る。

 

 自分は自分の中で「モチベーションの高い」人間だった。なので、その体育会系的な指導には嫌悪感を覚えていた。

 しかし、自分が指導する立場の中で、モチベーションの低い生徒の能力を引き上げるのに一番効率的なのがこれだった。部活動なんかの顧問をしていると本当に顕著に実感できる。

 彼・彼女らは口では反発しながらも、強制を求めているように見えた。もちろん、求めていない生徒たちは部活を辞めていく。しかし、残った生徒はその強制なしでは自発的な練習すらままならない。

 練習メニューを知らない、ということもあるだろう。しかし、同じ練習メニューを与えていても、負荷を与える人間がいるといないとでは動きが違う。そして基礎メニューを目に見えないところでサボった生徒は本番中に脱水を起こしたり、いざというときに動けない。動ける生徒、そして結果を出した生徒はそこで「自分はここまでできるんだ」と思うようだ。

 これは勉強でも同じで、いわゆる創造的な内容よりも書き取りやドリルなどの単純作業に彼・彼女らは没頭した。何をやるかがはっきりしているからだ。教員側の仕事はやらない生徒を指導してやらせるだけ。構造としてはシンプルだった。強制力=指導力。おっかない先生ほどいい先生。戸塚ヨットスクールに子ども入れる親の存在も、体罰で懲戒された教員を復帰させてと署名活動する親の存在も理解はできる。

 はっきり言って違うやり方というのが思いつかないし、思いついたとしてもあの風土の中でできる自信がない。異端者となるだけだし、その汚名をかぶってでもやり遂げるには相当のエネルギーが必要だ。

 エネルギーが足りず力尽きていく者がいることも忘れてはならない。

 

 モチベーションが低い、という理由の一つにモチベーションが上がるまでそれをやっていない、ということが挙げられる。

 そしてこの言い分はまさに渡邊会長と同じだと自分でも思う。

 

 自分が「必死にやること」を強制されるのは嫌なのに、他人を指導するとなるとその効用性を認めざるを得ない。

 

 今はまた小売業に戻っている。ただ立場は大きく異なっていて、今は現場の管理者的な立場になっている。

 あれほど苦手だった「単純作業の組み合わせ」も慣れとは恐ろしいもので、その辺のパートさんよりは効率的にできる自信もある。

 二社目・三社目合わせれば三年くらい現場で働いていた経験があるが、そこでも一番下っ端でろくに仕事できなかったので、これは単純に環境の問題なんだろうな、と思う。ポストと仕事の話についてはまた別に書きたいと思うけど。

 

 でまぁ、管理者になると、その効率性がふと頭をもたげることがある。どうやってきちんと仕事してもらうか、という点を考えると。雇用関係上シビアな面もあるし。

 

 それでもそれを良しとはしたくない。

 はっきり言って自分は疲れやすい。まわりとの比較の問題かもしれないけど、同じ時間だけ働いてても夕方には目がかすんでくるし、ちょっとハードになると夜はもう全身だるくて動けなくなる。帰ってきて車の中でしばらくじっと休まないと動けないこともある。

 それでも自分より体力のない人たちが現場をまわしていたりもする。それを言い訳に現場を混乱させる人もいる。そういうときもあるけれど、基本的にはどんな人でも負担なく、てのが自分の今の考え。

 

 たまにもたげる「効率性」=「人間排除性」が俺の中にあるのは認めます。利益出してなんぼの部分あるし、楽に慣れてぐだぐだな現状なんか目の当たりにするとふざけんな、みたいに思うこともある。

 でもそれを認めてしまったら、一つのやり方を強要したら、それはかつてボロボロになって身体を動かすことすらままならなくなった俺を俺自身の手で生み出すことに他ならないんじゃないか?

 

 結局、俺は俺自身の経験からしか物が言えないようです。コンビニ店長さんのようにきっちり正面からものを言えるほど潔くなることもできない。

 それでも、このワタミ的価値観に賛同することはできないし、違和感をはっきり持ち続けていたいと思う。 

 違うやり方はあるのだから。

 

 *不思議なんだけど、こういうブラック企業的理念を擁護して労働時間自慢したり、他人に押し付ける人間ほど自分の首絞めてる気がしてならない。心身共に理念が染み付いたマッチョな人間てわざわざそんなことをネットに書き込んだりしないと思う。自分が幸せを実感できないから他人の足引っ張って相対的にマシと思いたい、てことなんだろうけど。