KQ4のブログ

地方で暮らす、30代男性の日々の色々なこと 教育→小売→福祉と転職

はたらきたくない

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前職で激務に苦しむ中、上司に言われた言葉がある。
「激務が辛いのならば、激務じゃなくなるよう環境を変えていかないといけない」

その時は「辛いのは今だし、そもそも構造的にどうしようもない問題があるし、将来的な問題もあるし何を言ってるんだこの人は」と思った。

が、徐々に労働環境が改善され、というかその上司が頑張ってくれたので少しばかり状況は楽になったような気がする。一日15時間労働が12時間になったとか、ごくたまに定時の日もできたとかそういうレベルだけれども。

最初から環境が整っていれば環境を変える努力はいらないわけだけども、それはそれとして大切な視点とは思っている。

で、結局転職し、現在は定時で仕事が終わったわけだけども、予想外のトラブルが多く、これが本当に堪える。トラブルはどの仕事でも当たり前にあるけれど、頻発し
すぎる上、それが改善する兆しが見えない。
あと、職場環境が騒がしすぎる…。騒音が苦手な自分としてはこれもまた辛い。

昨年まではここまでではなかったのだけど、本当に億劫である。
もう少し、静かに作業ができる環境に転職しようかなぁ。

我慢して労働をするとか、誰もそうやってるとか、そういう幻想はとっくに持ち合わせていないのだ。できるところまでよりよい環境を追い求める。人生は他ならぬ自分のためにあるのだから…。

今の同僚はいい人ばかりだし、会社の補助で資格勉強もしているのでそこは心苦しいところではある。しかし、それが自分を犠牲にする理由にはならないよなぁ…。

迷うところである。迷いつつ、準備をしていこうかと思うよ。

「人生は、運よりも実力よりも、勘違いさせる力で決まっている」を読んで

仕事は相変わらずトラブル続きであるが、

「人生は、運よりも実力よりも、勘違いさせる力で決まっている」を読んでテンションがあがっている。

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テンションを高めただけでは何も変わらない、今後どう行動するか…

一番はやはり本書の要点である「錯覚資産」の増やし方である。
本書にもあるように、今後は参加する分野の講習や学習会に参加していきたいと思う。
また、いつかは本を出してみたいと思う。
これは、学生のころに教授に言われた「文章を使った仕事に就いてみては?」が心の中にあるからであり、その後も何人かに言われたことから。自分自身、文章を書くのは好きであるからである。そこに錯覚資産がついてくるならやらない手はない。

テーマは福祉から見たコントロール欲の充たし方、かな。

 

切実な欲求である「コントロール欲」も意識して充足させる必要がある。トラブルに左右され続けるのは非常にストレスだからだ。
自分で自分の生活をコントロールできないというのは本当にストレスであり、割り切れないものである。

まずは小さなことからやっていこう。
職場のトラブルも同様だ。

無力感に打ちひしがれるときに

 仕事にトラブルはつきものだが、つきものとはいえできるだけ出くわしたくないものである。
 こういうときにはこうする、という明確なマニュアルがない出来事に出くわすとどうすればいいかは現場判断であり、「臨機応変」という私がもっとも苦手とする対応をしなくてはならない。

 

 やり方が分からないのに責任だけは負わされる、それが臨機応変である。
どう対応すればいいかさっぱりわからず、同僚の力を借りることでどうにか対処できた。困ったのは、それに対し特に反省や今後の方針が得られなかったことである。

 

 思えばいつもそんな出来事ばかりに遭ってきた。

 ひどく疲れて、今日は一日眠ってしまった。有意義な一日を過ごそうと考えながら身体は眠りに落ちていた。ブログを書くくらいの元気は出てきたので今こうしている。

 インターネットを眺めているうち、こんな一文が目に入ってきた。
 「人は、コントロール欲をもっている」
 それは三大欲求と同レベル程度に人間に備わるものだという。納得である。

 思えば、自分は間があくと昔のRPGばかりを繰り返し行ってきた。物語も攻略方法も知っているゲームをだ。攻略方法を知っているのに攻略サイトも見ている。

 未知の領域や、新しい仕事に就いたとき、自分は必ず書籍を購入する。
それは、コントロールできないものをコントロールしようとしていたからではないか。今勉強している資格の勉強もそうではないか。

 そしてそれは今まで明確に役に立ったとは言えない。もしかしたら役に立っているのかもしれないが、それが実感できるのは時間が経ってからであり、時には仕事を辞めてから回顧されるようなものでもあった。

 たいてい役に立つのは、それをコントロールしようとしたときではなく、全く別の分野からであったりする。そう、なんとなく眺めた「コントロール欲」の一文が今の自分にとってのそれであるように。

 だからといってどうすればいいのかはわからない。ただわかるのは、起こってしまった出来事に対処するための方法など、どこにもなく、もしかしたら全く別の分野から降ってわいてくるのかもしれない。
 

 ゆっくり休むことだけは自分を裏切りはしない。

過去

ふとネットサーフィンをしていると、過去自分が手掛けていた仕事について記録していたブログが出てきた。
当時は辛いことも多かったが、ブログを通して同業種の方からアドバイスや励ましをもらったり、反対に記事を楽しみにしてくれているという声をもらったりと刺激になっていたことを思い出した。

当時のような熱量をもって何かを行うことはもう無理だろう。
熱量があること自体はいいことでも悪いことでもない。
大事なのは成果だからだ。

成果を出すにはある程度継続性が必要で、当時の仕事を離れてしまった自分にはそれがなかった。
どれだけ熱意があろうと、物事は続けていかねばならない。

今の仕事はじっくりと取り組んでいきたい。

問題解決

人間は、というか自分はこれまで何がしかの「問題」、つまりは「不安」や「葛藤」、「悩み」「家族」「将来」「仕事」というものを解決するべく生きてきたところがある。
穴があったら埋める、やりかけのパズルがあったら完成させるように、「問題」を「問題」として放置することができなかったのだ。
ところが、次第に「この問題はここまで進めておけばいい」「そもそも解かなくてもいい」というように自分なりに折り合いをつけ、放置し、中には解決と呼べる状態まで持って行くなどして、ひとまずの「解決」を得た。

では、問題がなければ幸せか。
その問いには「いいえ」と答える。

問題の渦中にいるときにはそもそも幸せなんてものを考えない。不幸というものを考えるだけだ。

これからは「幸せ」を定義しなければならないのかもしれない。
いや、そんな定義もいらないのかもしれない。

自分がどう在りたいか。
どう生きるか。

考えようが考えまいが日々は過ぎて自分は生活をしていく。
せっかくだからそれなりに充実した生き方だった、と思いたい。

そう考えるくらいには問題を解決できたようだ。

時間を持て余す

ドラクエ沼から抜け出した俺を待っていたのは、途方もない「時間」の過ごし方であった…!!

空いた時間で本や漫画を読んだりDVDを観たりはできるのだけれど、冬だからか、なんだか眠いのね…。
おまけに首まで痛くなってきちゃって、それが一週間続いている。
30代にして定年後みたいな生活になってきてしまって、これじゃああかんとは思うのだけれど、どうしたものかと。

やはり運動だよなぁ、と思うけれどもその運動をする体力がない。眠くてたまらない。
少しずつでも生活を改善しなくてはなぁ…。
11時就寝、7時起床を心がけなくては。

無為に過ごすのを防ぐため、日記もつけてみた。
いつまで続くかはわからないけれど、カロリー日記やZAIM,歯医者に行った話などのネタはあるので、今後書いていこうと思います。